昨今のアニメに思うこと。
私はアニメが好きだ。
しかし昨今のアニメを素直に楽しむことができない。
むしろ好きな原作に関してはアニメ化しないでほしいとまで願うこのごろ。
全ての原因は明確で、昨今の仕様が悪そのものなのだ。
・優先順位
後にも先にもアニメ産業である以上はビジネスだ。
慈善事業でないのは百も承知だ。
しかしそれでも、昨今のアニメ産業は金策傾向が表に出すぎている。
人気作品がアニメ化され、それが更に人気になり映画等その他収益に繋がる。
これ自体は今も昔も変わらない。
が、あることが大きく変わってしまっている。
それは「責任(リスク)」の所在だ。
ビジネスにおいて本来背負うはずのリスクをアニメ業界は顧客へ丸投げしている。
おそらく業界の船頭は株の損切とかと同じように上手にリスク回避できていると思っているだろう。
その大いなる勘違いが現在の状況を作り上げたのでないと思えてならない。
・シーズン制(12話単位)の悪
これを始めた奴 = アニメ業界を廃れさせた功労者であると言っても過言ではない。
リスク回避 = 打ち切りがあまりにも強引すぎるのである。
・元なる原作はアニメ12話で完結するほど薄っぺらい内容なのでしょうか?
「売れると思った」から「アニメ化」した、が「売れなかった」から「打ち切り」
この単なる判断ミスの責任をなぜ顧客が背負わなければならないのか?
例えば、
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原作が続いてる = 「長期サポートや次バージョンに期待」
売れると思った = (ここが企業判断で、その結果が次につながる)
アニメ化 = 商品化
思ったより売れない = (客のせいでもなんでもない)
打ち切り = 「販売及びサポート終了」
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長期サポートや続編を期待する顧客に対して簡単に裏切る。
一度なら仕方ない。がこれが当たり前と化した企業の商品を欲しがるだろうか?
シーズンで時間があくこと:
・1年前の献立を覚えているだろうか?
一週間ですら待ち遠しい高揚をあるかもわからないもののために1年2年と維持できるでしょうか?
みな一度渋々OFFにします。
そして続編が出たとき、「また渋々OFFにしなくては、、、」と思った時、当時と同等の熱をいれれるだろうか?
それは一部のファンだけでたいていは冷めます。
「あぁあれか、気になりはするから時間がある時にでも」程度になると思います。
これで利益利益なんですから片腹痛いですわ。
責任の顧客への擦り付けはさらに続く
・円盤売上制
先で裏切りったあげく、それら企業のミスを企業努力で挽回するのではなく、顧客に対しこう言うのである。
「続きが見たければ金出しな」
言っていること自体はいたって普通のことではある。
が、過程があまりにも暴力的である。
判断ミスをしたのは企業側なのに対して、この方法は企業は一切リスクを負わない。
企業:規定値を超えれば黒字且つ次の製作資金に、規定値を超えなければその売り上げは赤字の補填。
一方顧客は:次が見たいから円盤を購入、規定値に届かなければ続編がなく無駄な投資となる。
なんで顧客がこんなリスクを背負う必要があるんでしょうか?
そもそも、このスタイルそのものが謎でしょうがない。
円盤を売ること自体はいたってまともなことで、保存版としてほしい人だって大勢する。
がそれが続編のカギになるのが大いに間違っていると感じる。
「映画」や「小説(本)」などで、「続編が見たければ今見た(チケット/本)をもう一度買ってね」、「ただし買ったからと言って続編があるとは約束しないよ」
なんてシステムが他にあるだろうか?
・まとめ
・章区切りでの続編の可否の判断なら納得がいくが2.3節で終わりのアニメは見る価値もない。(時間の無駄)
(映画でいう予告編だけながして期待させておいて、上映されない感じ)
・ただでさえ制作委員会制とか言う悪の親玉が牛耳ってる業界ではあるが、行動1つ1つに入るひと手間がすべてがめつく不快に際立つ。
・残念ながら声優が受け入れられず見なかったアニメもあるくらいなので、中途半端にされるくらいならはなからアニメ化しないでほしいと切に願う。
結果として「アニメ」とは、暇な時以外は撮り貯めて「継続したもの」「高評価だったもの」のみまとめて観る物と思うことにした。
みながこれをしてしまうと「評価」がされなくなるし、業界にとってもリアルタイムの反映がなくなるからデメリットでしかないと思うんだけどね。
大好きなアニメが、アニメ以外のところで嫌いにさせられた現状がとても残念である。