(ボヤキ)「希望と絶望」と言う言葉について、、、
以前私は、「希望と絶望の差し引き、、、」と言うセリフ(アレしかない)を聞いた時、何かが引っ掛かった。
なのにそのまま月日が流れ最近ふとした拍子に思い出しのでぼやきます。
引っ掛かる最大の原因:
「絶望の対義語は希望である」これが私にはどうしても理解ができなかった。
なぜなら:
希望とは、「未来に望みをかけること」「こうなって欲しいと願うこと」所謂願望や祈りの類になる。
一方絶望とは、「希望をもてないこと」とある。
よく、これを理由に「だから対義語である」とドヤっている記事を見かけるが、私から言わせるとどんな屈曲した計算をしたらそこに行きつくのか理解できなかった。
式(なんちゃって)に当てはめてみよう。
仮に希望をAとする。
希望とは、とは、Aとは何かを説いているわけだ。
一方絶望とは、「Aがないこと」と言っている。
屁理屈的な私と同じ思考の人は気づいたかな?
そう。絶望の対義語と言うならば「Aがあること」が正解になる。
まだ、屁理屈にしかわからないよね。
要するに、「希望」と「希望があること」は同義できないと言うことが言いたいのです。
よってこの場合、絶望の対義語は「Xとは、希望があること」となった場合の「X」が対義語になるのではないだろうか???
そして、あるアーティストが同じ疑問もっていたらしく、その方も同じ解答に至った。
そしてその方はこう表現した、、、
絶望の対義語は「ユートピア」である。と。
若干、ん?とはなるものの、対義語が「希望」よりはしっくりくる。
そしてそのXとは何か、の謎は解けないが、希望ではないと言う私の考えが伝わればうれしいです。
屁理屈マンなんで、納得しないと認めないタイプですが論破歓迎ですw
とまぁくだらないボヤキでした。